まほろば

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「眼」の人の二元論的世界と文学

 文学と哲学の歴史をかえりみれば、ノスタルジアの心象はミニュアチュール、つまり事物をめぐる偏愛性向と深い結びつきがある。それは三島由紀夫の文学も例外ではない。しかしながら注意したいのは、次第に三島由紀夫は感覚的に偏愛を作品化することから離れ、自身が行動することによってその偏愛を誇示したことである。

 「私の自我を家屋とすると、私の肉体はこれをとりまく果樹園のようなものであった。私はその果樹園をみごとに耕すこともできたし、又野草の生い茂るままに放置することもできた。それは私の自由であったが、この自由はそれほど理解しやすい自由ではなかった。多くの人は、自分の家の庭を「宿命」と呼んでいるくらいだからである。」-『太陽と鉄』

 三島由紀夫氏の「眼」の人の遍歴と現代における三島論についてのメモ。
 氏が見る人であるというのは、「仮面の告白」での産湯の盥のふちから「生まれたときの光景」から「金閣寺」において主人公溝口を絶えず翻弄させた美の幻像、さらには「午後の曳航」で主人公登が箪笥の引き出しから垣間見た「世界の内的関聯」に及び強く印象付けられる。
 

 氏の作品は、二元論を用いたアイロニカルな作風が多く知られる(「仮面の告白」「純白の夜」「午後の曳航」「夜の向日葵」「真夏の死」「裸体と衣裳」など)。それらの二元論の背景には、認識と行為が深く関わっているように思われる。
 見る人は、練磨された感覚により対象を認識することができるが行動を必要としない。一方で、見られる人は、対象を見ることよりも自身の行動が先行して認識する。このような認識者と行為者の意識の問題は、三島氏自身の主題として「青の時代」に反映される。おそらくここには、内心の怪物を征服するような「仮面の告白」を書いた後で生まれた「生きなければならぬ」という思いと「明確な、理知的な、明るい古典主義への傾斜」への一つの答えのようなものが提示されていると思う。それはつまり、巨大な感受性への嫌悪であった。
 三島氏の小説は、氏自身のザインよりもゾルレンが示される。24歳で「仮面の告白」を書き、その後、「詩を書く少年」「金閣寺」さらには、その後の俳優活動に転じたのは、氏自身の感受性への嫌悪によるもであった。自身の詩を「ニセモノ」と断定し、認識こそ詩の実体だと考え、感覚とは絶対的に決別しようと決心するに至ったのは、「行動するごとく認識する」ことへの希求であったように思われる。そのような行動への渇望は、三島由紀夫の文学のノスタルジアの向かうところを暗示する。それは武士として死ぬことであった。氏が夢見たのは「二・二六事件」の青年将校が見た心象風景ではなかったか。同時に18歳の清顕の心にもっともしみ入った「春の雪」冒頭にある「得利寺附近の戦死者の弔祭」と題する写真ではなかったか。
 18歳の清顕が感覚の世界を生き、20歳で病死した後、本田繁邦が38歳の時に現れた飯沼勲は、行動の世界に生きた。三島由紀夫の二元論「認識と行動」は、あたかも季節が抒情の春から肉体的な夏へと変遷するかのごとく移り行く。その絵画のごときノスタルジアの変遷は、感覚の世界から行動の世界、さらにはその行動が終わった後の世界をも明瞭に示している。




仮面の告白金閣寺・春の雪・奔馬葉隠
・「トニオ・クレエゲル」トーマス・マン